いつでも研究が第一


コンピュータの扱いを学びはじめた研究者が最初に「つまずく」のは、技術の難しさではありません。 むしろ技術が面白くなりすぎることです。

コンピュータに関する特定の技術の学習には、研究にはない独特の手応えがあります。 やればやるだけ確かにできることが増え、見える世界が変わっていく。 しかし、研究を本分とする身にとっては、この快感こそが危険なのです。 与えられた道筋をたどるだけで一定の成果が着実に得られる技術の学習とは対照的に、研究は「モヤモヤ」と定期的に対峙しなければならない宿命にあります。 データが語っている意味見つけられていない時間、頭の中にある(ような気がしている)構想がうまく文章にならない時間──皆さんにも心当たりがあるでしょう1。 こうした漠然とした不快感に直面すると、人間は本能的に逃げ道を探します。 厄介なのは、現実逃避が必ずしもサボりの形をとらないことです。 むしろ、明確な成果を手っ取り早く得られる別の作業に打ち込むという、一見すると正当性のある行為となって表れることがあります2

if all you have is a hammer, everything looks like a nail.

Abraham Harold Maslow

これから新しい技術を身につけていく皆さんは、こういった「真面目の皮を被った先延ばし」に注意してください。 先月書いたプログラムを、覚えたばかりのスタイルで書き直したくなったり、去年整理したあのデータを、あっちのデータと結合し直したくなったりと、誘惑は様々な形でやってきます。 まずはこれらの衝動に気づき、「モヤモヤ」から目を逸らしたくなっている自分を認め、許してあげましょう、 新しく身につけたスキルは、これからすることだけに使うのが原則です。 既にやったものを改善するのは、いま明確な実害──頻繁に壊れて研究が止まるとか、自分も読めなくて困っているとか──があるときだけにしましょう。 今なら綺麗に書けるのに、、、というだけなら、やらなくてよろしい。 そのプログラムは、もう立派に役目を果たしたのです。

ただし時には、整理そのものに意味がある場合もあります。 整理によってできることの質が変わるとき: 例えば、既知の種類のデータを処理するパイプラインを整備したことで、これまで扱えていなかった新しい種類のデータの利用に着手できるようになったり、 整理したコードを web に公開したことで、他の研究者との協働が始まったりするなどが考えられるかもしれません。 こうした「質の変化」が見込める投資であれば、整理にまとまった時間を割く価値があります。 逆に、単に作業が多少速くなるだけのような量的な改善しか得られないなら、その整理には手を出さないでおきましょう。

もしも整理が本当に必要と思われるときは、それを研究とは独立したプロジェクトとして切り出してください。 研究の進捗に影響しない形で時間を確保し、期限と範囲を決めて取り組みます。 研究が止まらないよう切り分けさえできれば、その整理プロジェクトは、自分でやらずに他の人に頼んでしまっても良いかもしれません。 大事なのは、整理に研究のふりをさせないこと。 研究の椅子に座ってよいのは、研究だけなのです。

ここで私のおすすめを一つ付け加えておきます。 技術を学ぶ時間と、研究の時間を、はっきり分けてしまうことです。 研究の時間には、技術のことは考えません。 今の自分のスキルでできる範囲のことだけに集中します。 技術の学習は、息抜きや空き時間に、趣味(?)や将来への投資として少しずつ積み上げていく。 そして、技術の学習を研究の一部として扱わないこと。 新しい技術を学んだ日を「研究が進んだ日」とカウントしてはいけません。 それを許してしまうと、技術の学習が研究の代替物になり、本業から次第に遠ざかってしまいます。

物有本末 事有終始
知所先後 則近道矣

『大學』第一章

「いつでも研究が第一」。 本サイトで紹介する技術を習得し、視野が開けていく過程でも、この原則だけはくれぐれも忘れないようにしてください。

Footnotes

  1. でも、これらを乗り越えていくときの達成感は、研究の重要な醍醐味の一つですよね。

  2. 心理学の分野では productive procrastination と呼ばれるみたいですね。